アユの友釣りでしばしば目にするシーンがある。

10〜20メートル間隔で
釣り人が並んでいる。

ひとりにアユが掛かると
みんながチラリと見る。
釣りあげたばかりのアユをオトリにすると
またすぐに掛かる。
釣り人がずらりと並んでいる中で
ひとりだけ入れ掛かりだ。

そんなとき
「あの場所にアユが溜まっているのかも」
と考える釣り人は少なくない。

「自分も、あの場所の近くにオトリを入れられれば」
と強く思うあまり
じわじわと、入れ掛かりの釣り人に近寄ってしまう気持ちは
分からないでもない。

並みの釣り人ならば
せっかく自分がいいペースで釣りあげているのに
その場所に他人が近付いてきたら
「お〜い、あんまり近づくなよ」
と声を荒げるかもしれない。

しかし、巧者は違う。

周りから釣り人がじわじわと寄ってきても涼しい顔で釣り続け
タイミングを見計らって、あっさりその場所を譲ってしまうのだ。

で、強引に入ってきた釣り人が
それまでねらっていた場所に入るのだ。

コーナーに追い詰められたボクサーが
隙を見てすらりと身を入れ替えるように。

で、今度は、新たな場所で再び入れ掛かりが始まる。
強引に入れ掛かりポイントに入ってきた釣り人は
その甲斐なく釣れないばかりか
自分が今までねらっていた場所で
他人が入れ掛かりをしているのを目の当たりにする。

たいていの人は
そのような状況に追い込まれたら
岸に上がって大きく場所移動をするだろう。

では、なぜ巧者はせっかくの入れ掛かりポイントを譲っても
同様に釣り続けることができたのか。

活きのいいオトリをたくさん持っていた
ということももちろんある。

しかし、それだけではない。

人が入れ掛かりをしている場所にじわじわと寄ってくる釣り人は
そもそも二流か三流の腕前であることが多い。
当然、並んでサオをだしていた巧者は
その二流か三流の釣り人が
長時間アユを掛けていないことを見ていた。
オトリは相当にへたっているはずである。
オトリは川底にへばりついたように動かないから
サオも動かない。
じっとサオを構えたまま
釣り人も動かない。
まるで案山子のように。

つまり、二流か三流の釣り人が
場所取りをしていてくれたようなものである。
サオの入っていないサラ場ともいえるわけで
そんな場所に活きのいいオトリを放てば
またすぐに入れ掛かりとなることは必至だ。

巧者はそれを、よく知っている。

自分が、せっかく入れ掛かりを演じているのに
その場所にズカズカと入ってこられるのは
我慢ならないところだが
キレるのではなく
さらなる飛躍への転機だと捉えられるかどうかが
ひとつ上のステージに上がれるかどうかの境目かもしれない。



(山根)