ネット関連の打ち合わせなどで
「箱」と「コンテンツ」という言葉が
しばしば用いられる。
「箱」はシステムや仕組みのことであり
「コンテンツ」は中身のことだ。

「箱」と「コンテンツ」は
どちらかが優れているだけではダメだ。
大切なのは両者のバランスである。

名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)
が開催されていることもあり
テレビや新聞、週刊誌が生物多様性を取り上げる
機会が増えている。

それらを見ていて思うのは
「コンテンツ」のことしか議論されていない
ということだ。

地球上のさまざまな生物を「コンテンツ」とした場合
生物を育む自然環境は「箱」である。

しかし、「箱」に関しては
まるで別問題のごとく議論されず
「コンテンツ」だけがクローズアップされる。

たとえば多摩川の外来種問題。
家庭で飼育されていたと思われる
グッピー、エンゼルフィッシュ、アリゲーターガー
などの熱帯魚をはじめ
ブラックバス、ミドリガメといった
外来種が増えているという。

由々しき問題ではあると思うが
そこにいるグッピーやエンゼルフィッシュが問題なのではなく
熱帯の地にしか生息できぬはずの熱帯魚が
越冬できてしまう「箱」、つまり多摩川自体が問題なのである。

多摩川の場合、
羽村取水堰よりも下流には
多摩川本来の水は流れていない。

多摩川中下流域の水の7割は
下水処理水なのである。
下水処理水は温度が高いため
多摩川中下流域では真冬でも
水温が高いのである。

つまり、高水温を好む外来種にとって
居心地のいい「箱」なわけだ。

多摩川はほんの一例だ。

外来種が増えて在来種が減ったのは
外来種が在来種を食べつくしたからではない。
「箱」が在来種よりも外来種の生息に適してしまったからだ。

日本の淡水魚の多くは
水草のあるところで産卵し
水草のあるところを住処にしていたが
コンクリート護岸が
一瞬にして彼らの生息環境を奪ってしまったのだ。

もし、在来種の復活を本当に望むなら
外来種問題だけではなく
河川や湖沼の護岸化、ダム、農薬による汚染などの自然環境問題にも
同時に取り組まねばならない。

しかし、現状は
そのような「箱」は置いておき
「コンテンツ」だけがクローズアップされる。

極端な例を挙げれば
霞ヶ浦などは本来、海とつながっていた汽水湖であったのを
河口堰によって完全に淡水化してしまったのだ。
それだけで、魚介類にどれだけの打撃を与えたことか。

海水魚を飼育していた水槽の中を
完全に真水にしてしまえばどういうことになるのか
火を見るよりも明らかである。

それにもかかわらず
それら在来種がいなくなった要因を
外来種の食害だと騒いでいるのが
いまの生物多様性問題なのだ。

(山根)