尾瀬に程近い
檜枝岐川(ひのえまたがわ)へ行った。
上流部の山々はすでにちらほらと紅く染まり
長袖を着ていても肌寒かった。
本流は成魚放流だったが
支流では日光イワナの原種と思われる
まっ黒なイワナと対面することができた。
地元の古老いわく
昭和40年代までは日光イワナが1日に40〜50尾は
本流でも釣れたとのこと。
日光や田島方面へ卸す職漁師もいたそうだ。
ダイナミックな渓相がえんえんと続く檜枝岐川
今回は民宿「かねや」に宿を取った。
檜枝岐村には38軒の民宿があるが
現在、主人が釣った天然のイワナでもてなしてくれるのは
「かねや」さんだけだと村役場の観光課がいっていた。
仕事柄、山間の民宿に泊まることが多いが
正直、宿の食事を心待ちにすることはなくなった。
海沿いの民宿なら、時に極上の魚介類にありつけることもあるが
山間の宿といえば輸入物の山菜料理に
コイのアライや養殖イワナの塩焼き、
冷えたエビの天ぷら、マグロの刺身
などが主で、郷土料理でもてなしてくれるところは滅多にない。
しかし、かねやの夕食には嬉しいを通り越して感動すら覚えた。
全国の名川を釣りあるくキャリア50年の大ベテラン
相吉孝顕さんも、心温まるもてなしに酔いしれていたようす。
イワナはもちろん天然もの。僕と相吉さん、カメラマンの浦壮一郎さん
いずれもサイズは20cmほど。
そういえば、ご主人の星幸弘さんは7寸前後しか釣らないと言っていた。
ワラビやウドなどの山菜は、もちろん地のもの。
天ぷらは山菜がメイン。エビ天はなく、
代わりに妙な形をしたモノが…。
「サンショウウオだす。精力がつきますだす」
と主人。
檜枝岐ではズウというワナでサンショウウオを捕る。
昔は各家庭で捕っていたが、今では4〜5人しかいないそうだ。
サンショウウオは精力剤として、また産後の肥立がよくなるともいわれ
村では強壮剤的に用いられたようだ。
見た目こそグロイものの、
サンショウウオはハゼ天のような甘さがあり
エビ天のような歯ごたえがあり
ピリリと山椒をきかしたかのような不思議な味が
いつまでも口の中に残る魔味である。
しかも、卵まで入っていた。
「意外とうまいっすね」
「本当だ、けっこういけるね」
と浦さんと夢中になってサンショウウオを賞味しているときに
写真を撮っていないことに気付いた。
「相吉さん、サンショウウオの写真を…」
古希を過ぎたベテランも、
真っ先に魔味を平らげてしまっていた。
そのほか、米のなかった時代に米代わりに食べていた
という「つめっこ」や、その旨さゆえ庶民には食べることが
ご法度であったという「はっとう」、檜枝岐名物の「裁そば」
など、とても民宿の料理とは思えなかった。
きりたんぽのような感じでそば餅が入った「つめっこ」。
具は根菜ときのこ、そば餅のみで味は味噌仕立て。
鳥ダシがよくきいていて家庭料理とは思えない上品な味だった
そば餅の上に砂糖で味付けした荏胡麻をまぶした「はっとう」。
かつてはその旨さゆえ庶民が食べることはご法度だったという
心と胃袋が温まる郷土料理でもてなしてくれた後、
「明日の朝は何時にしましょうか。
燻製にした舞茸を使ったきのこご飯を炊いておきますから」
と75歳の親父さん。
その夜、間違いなく旨いだろうきのこご飯の味を想像すると
興奮してなかなか寝付けなかった。
美味しい料理を食べられることは幸せだ。
では、美味しくない料理を食べることは不幸せなのだろうか?
人間も所詮は自然界の中の動物の一種である。
食べ物にありつけるだけで幸せなのではあるまいか。
翌朝、六地蔵の前を通り過ぎた時、胸が締め付けられる思いがした。
檜枝岐村では寒さゆえ米が今でも作れない。
わが国屈指の豪雪地帯でもあり、昔は頻繁に飢饉に見舞われた。
往時は餓死する村人も少なくなく、
飢饉の年には「間引き」が行なわれたというのだ。
そのため、道端には六地蔵をはじめ
○○童子や○○童女という墓標が至る所にあった。
自分たちが生きるために「間引き」をする。
そんな時代が、そう遠くない昔にあった。
僕達はそのことを絶対に忘れてはならないと強く思った。
檜枝岐村の六地蔵