恩田俊雄さんが逝去された。
享年91歳。
現在の渓流釣りの礎となった郡上釣りは
恩田さんによって世に広められたといっていいだろう。
釣聖とも呼ばれた。
月刊つり人前編集長の若杉隆は
恩田さんの郡上釣りは、神業だというのが口癖だった。
歴戦の名手を取材してきた若杉は
滅多なことでは驚かない。
それが、郡上釣りのこととなると
子どものように口角泡を飛ばして語った。
一度はお会いしてみたいと
僕が恩田さんのもとを訪ねたのは
10年ほど前。
体調を崩されているとのことで
屋内でお話をうかがった。
決して笑顔を絶やさず、
心の温かい方だった。
そして、眼の光だけが異様に鋭かったのを
今でも覚えている。
次にお会いしたのが6年前、85歳の時。
構えだけでもいいのでと、
無理を言ってサオをだしていただいた。
もちろん、目の前の吉田川だ。
川岸に立つと
顔つきが鋭くなった。
仕掛けを何回か流したが
アタリはなかった。
納竿後、並んでサオをだしていただいた息子の忠弘さんが
搾り出すような声で言った。
「これが吉田川の現実です。
ウグイもろくに釣れなくなってしまった。
天下の名川といわれた馬瀬川だって
成魚放流をする時代です。
その放流トラックを追いかける釣り人たちがいるって……。
雑誌の力でなんとかしてください。
このままでは日本でアマゴ釣りができなくなってしまいます」
その後ろで、恩田さんは寂しそうに笑っていた。
見ているのが辛くなるほど、寂しさに満ちた笑顔だった。
小さな体で郡上ザオを巧みに操り、
サツキマスをこともなげに取り込んでしまう釣聖。
古代から綿々とつむがれる釣り史に
その名が大きく刻まれることは間違いない。
心よりご冥福をお祈りいたします。
合掌